WWつらゆきのつらつらぐさWW

                                       女もすなる、映画日記といふものを、                  つらゆきもしてみむとて、するなり

♪インシャ~アッラ~♪の季節が来た!

 f:id:tm2013:20140629215349p:plain

 ジャカルタでは、

ラマダン(断食月)に入ると

どこもかしこも思い出したかのようにかけまくる曲があるのです。

 


Maher Zain - Insha Allah | Insya Allah | ماهر زين - إن شاء الله ...

 

♪インシャ~アッラ~インシャ~アッラ~インシャ~アッラ~インシャ~アッラ~ア~ア~

とアラーをたたえる曲なんだけど、

2年前に初めてインドネシアラマダンを迎えた時以来、

これを聴くと「きたきた~!」と何故か興奮するー!

(つらゆきはムスリムではなないので、そんな気持ちになるのは若干後ろめたくもある)

 

だけど、ラマダン以外では殆ど流れなくて、

概ね欧米のヒット曲(かなりきわどい内容も可)とか韓流とか、

インドネシアのアーティストの曲がガンガン流れてます。

 

インドネシアには、ムスリムの信仰についての歌は結構あって、

人気ロックバンドUnguの『Allah Maha Besar』(アッラーは全能で偉大)

という曲もかなりいい感じなんだわ。

UNGU - ALLAH maha besar - YouTube

 

他にも、こういう曲専門で歌ってる歌手もいて、

もちろんインドネシアは多宗教国家ではあるけれど、

やっぱり、バリとかスラヴェシの一部とかパプアを除いては

ゆるいけどイスラムが社会の根幹にある。

 

♪インシャ~アッラ~のマヘル・ザインという人は、

レバノンスウェーデン人らしいんだけど、

きっとイスラム世界で大ヒットしたんだろうなー!

パレスチナについての歌も出してて

アニメがちょっとエミネムMosh調。

Maher Zain - Palestine Will Be Free | ماهر زين - فلسطين سوف ...

 

インドネシアの若い人の英語の歌好きはかなりのものなので、

この人の歌が受けるのはよくわかるんだけど、

他のイスラム教の国はどうなんだろう・・・?

もうすぐ断食でどうなるアルジェリア!?ー『アルジェの戦い』ー

まず、アルジェリアはちょっと置いておいて、断食の話から。

次の土曜、6月28日から、イスラム暦でいう今年の断食月ラマダン)が始まる。

インドネシアでは、断食のことを「プアサ」と言うのだけれど、

それを前に、方々でいろいろな行事をしている。

それについては、おもしろいこととか、気になることとかがいっぱい!

 

その1 お祭り

ついこないだの火曜か水曜の夜には、

つらゆきのアパートの近く(大通りからだいぶ奥に入った住宅地)で、

ラマダン入り前の前夜祭的なお祭りがあった。

普段は昼に路端に出ている屋台が遅くまで大集合して、

日本のお祭りと同じようなおもちゃの露店も出ていて、

空き地ではステージを建ててその上でバンドが演奏していて、

それを見に来てる若い人達もいて、

例のごとく男女それぞれグループでキャピキャピしてて、

とっても楽しそうで賑やかだった。

 

その2「スンバコ」

スンバコとは、スンビラン・バラン・ポコッ Sembilan(9)Barang(物) Pokok(重要) の略。

本来的には油、お米、塩、砂糖などの生活必需品を

普段お世話になっている人に贈る、日本でいうお歳暮に近い風習なんだけど、

贈る相手によってその内容物が大きく異なってくる。

大きなスーパーなんかではお菓子や果物の豪華な詰め合わせが

パックになって山積みになっていて、

比較的裕福な人同士はそういう「必需品」ではない物を贈り合う、という

お歳暮的な面が強いし、

 

そうではない人には、

油とか調味料とかインスタント食品とかを贈る。

 

つらゆきの勤め先は、

1998年5月のジャカルタ暴動で、

本当に大勢の日本人がジャカルタ中心部にある自宅に帰れなくなり

設立以来最大の窮地に陥ったんだけど、

その時に地域の人たちに助けてもらった(守ってもらった)時以来、

毎年近隣の人を集めてスンバコをしている。

今年は1000個近く配った。

 

17年間このスンバコをしてきた人によると、

最初の頃は、この地域も今よりずっと生活の苦しい人が多くて、

開催する日になると人が殺到してみんな目がギラギラしてたけれど、

少しずつ生活が豊かになってきたこと、

また何年も変わらないスタンスで継続してきたことで

(もちろん方法は改善されていっている)

争奪戦しなくてももらえるんだということが理解されて、

そういう積み重ねで信頼関係が築かれ、

穏やかな雰囲気の中、お互いに笑顔で言葉を交わしながら渡せるようになった、

とのことだった。

 

やっぱり、「恩返し」って大事だなって思う。

同時に、地域の交流、支援活動というものを成功させるには、

こういう地道さが必要不可欠なんですね!

 

で、話は戻るんだけど、

裕福な人達にとってはその意味合いは薄れているのかもしれないけど、

そもそも、施しとか喜捨とか、イスラム教の教義にのっとった風習なので、

この行事に参加するたびに、あらゆる面で完全なエイリアンである自分が、

イスラム教の世界の中において相互作用を起こす何かをしている、

という感覚を持つ。

これって意外と少ない機会なのです。

 

その3 お墓参り

こえは家族行事としてですね。

普段からひどい渋滞が、

ラマダン前後の週末は墓地に行こうとする車で更に混む。

とのことで、まさに盆。

ちなみに、犠牲祭というイスラム暦のもう一つの大事な行事

(メッカ巡礼をする「ハッジ」もこの時期)の前後も

お墓参りシーズン。

今年は大統領選の選挙運動も真っ最中だから、

どこもかしこもいつも以上に渋滞だ~

 

その4 わーるどかっぷ

他にもいろいろあるんだけど、

取りあえず、今、全世界的に気になることは、やっぱり、

ブラジルワールドカップでしょう!

 

インドネシアは、総人口に対してのサッカー人口は決して多くないけど、

やっぱり人気はあるし、結構観てるんだよね。

つらゆきのアパートでも、

各部屋のテレビはサッカー中継になると有料だから基本映らないんだけど、

駐車場のテレビはどこかからかコードを引っ張ってきてて、

夜通し守衛さんとか運転手さんとかが観てる。

それで、「日本負けたね、残念だね」とか朝っぱらから声かけてきてくれて、

嬉しいんだか悲しいんだか。

 

で、気になるのは、

28日からの断食で、イスラム教徒の多い国はどうなるのかと!?

特に、イランは厳格なイスラム教国だし、

ボスニア・ヘルツェゴビナは敗退してしまったけど、

ムスリム率高いアフリカ勢もまだまだ残ってるし、

 

最も注目すべきは、ジダンの両親の母国

アルジェリア!!

アジア時間の明朝、韓国との一戦が控えているわけで、

既に一敗しているので後はない。

しかーし、今回は2010年12月~の『アラブの春』以降に行われる

初ワールドカップであり、その波を大いに受けたアルジェリア

どこまで躍進できるか、

そして、もし韓国に勝てたとしたら、

断食をどのように乗り越えていくのか、

それとも勝つために食べるのか、

意外と敬虔なイスラム教徒が少なくて心配ないのか、要注目!

 

そんなアルジェリアの映画といえば、1966年の『アルジェの戦い』。

 

イタリア人監督によって、フランスからのアルジェリア独立後初めて製作されたドキュメンタリータッチの映画。

(ある意味、アクトオブキリングの正道パターン)

完成までに5年もかかったそう。

独立戦争の凄まじさが焼き付けられたような映画で、

その迫力・出てくる人々の眼力に、心臓をバクバクさせながら観た。

今観てもすごいわーーー!

 

ベネツィア映画祭では、上映や最高賞の金獅子賞の授与最中に

フランス代表団が反仏的だと怒って退席したが、

つらゆきの敬愛なるトリュフォーだけは最後まで席に残った、

という、記憶されるべきエピソードもあるわけで、

これは、是が非でも注目しないわけにはいかないのである。

『VIVA JKT48』ーされどアイドル映画ー

f:id:tm2013:20140608000809p:plain

インドネシアでは6月5日から公開(ところでなんで木曜からなんだろう)のこの映画を観てきました。

ジャカルタ赴任が決まった際に「何でジャカルタ?」と聞かれて詳細を話すのが面倒になり「センターとりに行くんだよ!」と答えて顰蹙をかっていたのも、もはや遠い昔のように感じる今日この頃ですが、私の後退ぶりとは無関係に、彼女たちは頑張っております。

取りあえず、この写真いいですよね。

・・・さてこのポスターがFXモールのJKT劇場に貼られてから、しばらくはうんともすんともなんなかった情報。

しかし実際映画に出ているメンバーとそのルックス等を見ると、製作自体、当初はあまり進まず、最近になってまとめて撮ったという感じ。

この映画に限らず企画から撮影まで何年もかけて映画を撮る、というスタイルはここではあまりなさそう。

 

観客もそれを知っているためか、国産映画の需要はあまりなくて、上映はしているものの人気はない。

 

と、散々言っているけれど、

正直この映画は、その割にすごく丁寧に作られた、できの良い映画だと思う。

 

まあ、若くてかわいい子たちがいきいき動いているのをストーリーの中に映しこむことができれば、それだけで映像として価値あるものになるけどね。

 

なにしろみんな表現上手なので、飽きさせない!

 

ストーリーは、

JKT48メンバー、そのヲタ3人組、ドロンジョみたいな悪役とその仲間、日本人マネージャー(『スカルノ』にも出てた在イ日本人俳優)が、

あーだこーだしているうちに、最終的に

「JKT48ばんざい!」状態になる、というお話。

インドネシア語で観たのですべて雰囲気で解釈)

 

出ているメンバーの顔と名前はほぼ一致するのだけど、

今回ぐいぐいきたのは、

シャニア!

観る前は、15、6歳で・背が高くて足がすらーっとしてて・笑顔がいい、というざっくりとした印象だったけど、

話す表情がとっても魅力的。というか、力強い(笑)

あと、ビルの屋上で「RIVER」を歌うシーンがあって(好きな曲ということもあるかもしれないけど、シーンとしてこの映画の白眉だと個人的に思う。一瞬、後列で踊るメンバーの太ももの大きなアザが映るところも含め)、頭一つ大きいシャニアは他のメンバーより風がモロに当たるのか嫌なのか、もしくは曲調を意識し過ぎてか、すごく険しい顔してて、リアルでよかった。

 

あと、ナオミ

アンニュイな雰囲気で、無声映画の女優さんみたい。

 

ついでにユッピ

中盤、映る割に動かないししゃべらないけど、最後にやっと台詞らしい台詞があって、そのハラハラ感がグッド。

 

ともかく、インドネシアの可愛い女の子NOWを知ることができるので、ぜひ広く観てもらいたい!メロディーとかホントきれいなんだから~ビックリすることうけあいです。

 

観たいものを、観たいだけ、観たいように観る。

辻褄やら意味やらはほっぽっていいんだー。

 

たかがアイドル映画、されどアイドル映画。

かの候孝賢もアイドル映画で腕を磨いたのだし。

そこできっと人を撮ることに関する「発見」があったのだと思う。

 アイドル映画ってすごい。

 

以下は在イ視点でのポイント

1、FXのあの滑り台って滑れるんだ!

2、夜のシーンで映る出来たての高架道路、いつまでもつのかな・・・

3、観客は小さい子のいるファミリー3組とヲタボーイズ7,8人でした

4、悪役の意味不明な金切声テンションにはインドネシアのお笑いを感じるけど、映画館では全くウケてなかったぞ、これいかに

5、私が普段使わない「kalian=あなた達、きみ達」が頻繁に使われてて(あたりまえ)、今度から使ってみよ~と思った

 

<追記>

仲川遙香(はるごん)

は、溶け込み過ぎてて、かえって目立ってなかった(笑)

けど、1.5列目から2列目のセンターにいる感じで、

ロナやアヤナ

と並列で、ちょくちょくいい相槌うったり文句言ったりのプチ見せ場があった。

 

逆に意外とナビラがいきてなかったな~と思う。歌のシーンでは当然かなりドアップで映ってたけど、演技のシーンでは出てるけど印象薄い。フリートークの方が得意なタイプなんだろうな。

すべて私見ですが。

『アクト・オブ・キリング』-4.12いよいよ日本公開-

f:id:tm2013:20140403214031p:plain

http://www.aok-movie.com/

いよいよ4月12日よりイメージフォーラムにて公開。

 

町山智浩も吠えてたみたいだし

(「町山智浩が激怒!日本マスコミの残念な報道姿勢を語る」

http://miyearnzzlabo.com/archives/18152

話題性十分のインドネシアネタだ~

 

実は、インドネシア国内からのアクセスに限り、

ウェブサイトhttp://theactofkilling.com/

無料ダウンロードできるので、

拙者は昨年9月にお先に観ときました~へへ。

f:id:tm2013:20140403214205p:plain

海外の映画祭で絶賛されて、

日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映されて、

アカデミー賞にもノミネート。

輝かしい評価を得ているけれど、

ここジャカルタでは一般上映の兆しは未だゼロ。

 

在イ邦人向け新聞『じゃかるた新聞』に記事が載ったことはあったくらい。

https://www.jakartashimbun.com/free/detail/13362.html


そもそも、この映画が扱うインドネシア現代史最大の「An Open Secret」である、

1965年の「9.30事件」とは。HPにも説明があるけど、一応↓

48年前の9月30日、大統領親衛隊の隊員がクーデターを起こし、陸軍幹部6人を殺害した。クーデター未遂の責任として共産党に支持されていた建国の父スカルノが失脚、猛烈な反共のスハルトが大統領に就任した。
そして、計画に関与したとしてインドネシア共産党PKI)の党員、そのシンパ、中華系の人が、国軍やプレマンと呼ばれるならず者達、扇動された一般住民により殺害され、その数は政府公式発表で7万人だが外部の推計では50万人とも300万人とも言われている。
国際的には20世紀最大の虐殺事件の1つと見られており、事件直後からスカルノの政策失敗に乗じて政権奪取を図ろうとしたスハルト陰謀説がまことしやかにささやかれていたにも関わらず、スハルト政権はその後1995年の大暴動まで30年間続いた。
また、インドネシアの報道や学校教育では、未だ「共産党による残酷極まりない殺害事件」としてのみ扱われ、何十万人規模の虐殺は無かったこと、あったとしても致し方なかったこととされている。それにより国民は共産党へ同情をするどころか、共産主義は絶対悪というイメージ、もしくは共産党員となれば殲滅される恐怖を植え付けられた。。。


と、いうことで。
それを前提として、45年独立時のスカルノの文言をいじって

スハルトが国民統合のイデオロギーとして標榜し、

今も継続されているインドネシアの国是

(国民が認めた一国の政治の基本的な方針)

「パンチャシラ(サンスクリット語で「5つの徳の実践」)」を見ると

1.唯一神への信仰(⇒無神論は原則に反している)
2.公正にして文化的な人道主義
3.インドネシアの統一
4.協議と代議制による民主主義
5.インドネシア国民に対する社会主義

(一般的に言う社会主義ではなく、国民の利益を第一に考える、という意味)

1項目目からいきなり、共産主義者は排除するぞ!

と言ってるわけですよ。
ちなみにスカルノ在任期はこの項目は5項目目だった。
多様性の中の統一」というインドネシアの素晴らしい

建国理念はどこにいった。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

上で、「報道や学校教育では」と書いたのは、

国民の多くが政権の隠蔽や偽装工作に気づいてはいるから。
でもそれをはっきりさせようとする動きが国内からは見られず、

「An Open Secret」のままなのは、

もし全てが明らかになった場合、

虐殺の被害者と加害者が互いに身近で大杉て

インドネシアの地域社会が大規模に瓦解してしまうから、

また、実際問題として検挙された何万人規模の犯人達を裁いて

もっともな刑に処せるほどの許容量がこの国にはないからです。

そんなことできる国どこ、にもないけど。

で、映画のこと。

主人公は、虐殺に大貢献した「パンチャシラ青年団」という

今も存続する愛国者団体の幹部達。
1000人以上は殺したと自慢げに語るアンワル、

ジョン・ウォーターズの初期映画のディヴァイみたいなヘルマン、

家族サービスを欠かさない初老男性。
みんなインドネシア第三の都市スマトラ島メダンに住み続け、

住民からも地域の議員からも英雄扱い、大物扱いを受けている。

この映画はとても実験的で、

この人物達が当時した行為の詳細を語らせ、

その行為を加害者・被害者になり切って演じさせている。

衣装、音楽、特殊メイク、シチュエーションなどは出演者の希望に沿い、

彼らの大好きな西部劇やミュージカル的な要素や取り入れて、

殺戮の状況を自発的に喜んで再現させるように仕向けている。

ただし編集はもちろん監督らに委ねられており、

そこから浮かび上がるものは・・・?

パンチャシラ青年団は、要は自他ともに認める“プレマン(やくざ者)集団”で、
団員はとりあえず同じ戦闘服着たりキャンプで訓練したりして、

多少の食い扶持とお金をもらえるようになっているけど、
いざ出動って時にはとにかく相手を徹底的に叩きのめし

荒らしまくり奪い尽くす、というのが唯一の使命であって、
インドネシアにはこの手の団体、集団が星の数ほどあって、

それらが権力者や政治家、時には自治体や国の利益や

内部抗争のために暴動を発生させ、
そこにどこにも所属していないゴロツキも加わって収集がつかなくなる、

というのが紛争のパターンで、
ジャカルタの開発をめぐるいざこざでも出てくる奴ら。

昔の日本のやくざと同じようなもの?

でもこの映画を観てて、彼らに仁義なんてものは存在しないように思った。
自分がよけば、人がどうなったって、

一瞬は悲しんで見せたりするもののすぐに開き直りそうだし、
人を殺した過去にしても、この映画の製作を通して

贖罪の念を持ったかのように最後「嘔吐」するアンワル・コンゴではあるが、

なんか1日たったらケロッとしているような感じ。
「被害者の恐怖はこれほどまでだったのか!」と嗚咽する彼に

「あなたは演技だと分かっていても当事者は実際に死んだんだ」

と冷たく返す監督。

絶対的に軽い彼の罪悪感。

うーん。そもそも人の良心なんてものは思い込みであって、

だとすれば良心の呵責なんてものは無意味極まりなく、

結局はその個人なりの快楽さえあればいいっていうのが根本的な行動原理なのかな。
あー、これ「当たり前」な人には当たり前なのかな。

私はなんとなくそんな気もしてきたけど今更その思いを色濃くしたって感じだ。

ものすごくクール&ドライな気分になった。

そして個人の感情云々はどうでもいいけど、

遠い過去だとしても殺人者が裁かれないって、どーゆーこと!?怒
という気持ちにもなった。

グルっとめぐって、社会的な意識も刺激するような映画でした。

日本でも観られるようになって、

もしかしたらインドネシアでも・・・?

というのは甘い考えだと自覚しています。

 

「国民の大半が観たがらない映画、

売れない映画に何の価値があるの?

観たがる人は物好きかよそ者かただの変態。ペッペ!」

 

勢いづいているこの国では

そんな突き放し方が当たり前。

そうやって必要なことまで忘却処分されてしまうことって

沢山あるんじゃないかな。どこの国でも、日本でも。

 

ただ、“外側の人間”が作っているから残せている。

そして、残すことそれ自体に既に価値がある

ということの証明という意味でも、

是非日本にいる人にも観てほしいと思います。







『Mika』ー死と乙女とシースルースカートー

 f:id:tm2013:20140401233646p:plain

『MIKA』 2013

Sutradara(監督):Lasja F. Susatyo

Mika:Vino G. Bastian

Indi:Velove Vexia

 

インドネシアTSUTAYAとも言うべきGRAMEDIAで

インドネシアで一番のイケメン俳優は?」と尋ねたら

「フィノ・ゲー・バティストっしょ!」

ということで、

そのお姉さんの趣味も入ってるとは思うけれど、

若人には知名度の高いこの俳優の映画を観てみました。

映画自体も結構人気だったらしく、

別の人に感想を尋ねたら「最後はさ~」といきなりネタバレされました(笑)

ちなみにW主演な感じで、2人とも有名俳優2世。

世襲ってどの国でもどの分野でもあるのねん。

 

脊髄に障害のある高校生とHIV患者の青年のラブストーリー。

いわゆる難病ものといえば、

愛とは決して後悔しないこと!」という

古~い名言が出てきてしまうつらゆきですが、

主人公二人のやり取り、特に女の子の方がカラッとしていて、

ただ無邪気なだけというよりも、

「病気や差別に負けないぞ!」という意志を感じました。

それもこれもみんな「二人の愛のためなら!!」という

Cintaパワーなんでしょうが。

 

上の写真みたいに、食事する場面がよく出てきて、

この時ではないけど、ピザを分け合うシーンがあって、

すごくグッと来た。切ないよね。

指輪をあげるみたいな、そんな感じの気持ちがこもってそうだった。

(食事シーンってな~んか意味があると思うんだよね。それはまた別の話。)

 

他にもいいシーンはいっぱいあって、

特に、女の子の方が彼を想ってデートで来た道をたどったり、

2人の関係を象徴的な夢で見たり。

彼女の頭の中を映像化したシーンが

ベタなんだけど、やり過ぎでなくて、うまいなって思った。

つらゆきは、心は乙女だからこういうのに弱くて泣いちゃう。

 

でー、シースルースカート。

ここいいシーン!の彼女のスカートに注目!

 f:id:tm2013:20140401235751j:plain

ふわっとした長めのシフォンスカートの下に、

ひざ丈くらいのスカートが重ねてある。

この女の子は3回くらいこういうの履いていて、

日本でもなくはないデザインなんだけど、

ジャカルタの、しかもギャルの間ではかなりポピュラーと思われる。

この映画に出てきたのは清純派タイプだったけど、

よく見かけるのは、マキシ丈のシースルーで下が結構ミニなタイプ。

 

ジャカルタの高級モールには

モデルみたいに長くて綺麗な足の人がよくいて、

そもそもの素質と、手間暇とお金をかけていると見ているんだけど、

そういう人がショーウィンドウのディスプレイさながら着こなしているんだよね。

 

しかし果たしてこの手の長いシースルースカートを着るということの意味は?

 

1、オシャレ?

2、美脚効果がある?

3、イスラム教徒としての落としどころ?

1、オシャレ

私には分かるような分かららいような、このセンス。

でも、韓流のエッジの効いた服装とか派手パーティー服とか好きな人多いから、

ナウなオシャレなんだろうな。

 

2、美脚効果

正直あんまり脚は綺麗に見えない気がするけど、

元々美脚率高いし、そもそも足に自信のある人しか着ないか。

 

3、イスラム教関連

ゆるいイスラムが大多数なので、

腕や足をモロに出している人も多い、ということは前提で。  

f:id:tm2013:20140324154949j:plain

(オシャレなイスラム教徒の女性が読む雑誌)

魅せたいけど見せない、その微妙な女心で

それに適った布選びやカットをするイスラムファッション。

頭からつま先まで覆いつつも女性の魅力をめいっぱい表現しようとしていて、

すごく興味深い。

特にインドネシアはカラフルで華やか!

 

たしかに、敬虔なイスラム教徒の女性は、

オシャレだろうが美脚だろうがマキシ丈だろうが、

シースルーじゃ履きません。(家の中では知りません) 

 

でも思うのです。

 

長いシースルースカートは、

イスラムがスタンダードな社会と

センスと美しさをアピールしたい女性の欲求との

究極の一致点なのではないだろうか、と。

 

で、結局Vinoはどうだったかって?

悶絶死しそうなくらいキュートな笑顔のイケメンでした。 

 

ソロ 2日目

ゆっくり起きて、ソロの街中散策。

ガイド本で見た「ナシ・リウッ」のお店や屋台が見つけられず、そもそも外食できる場所が目抜き通りにほとんどない。その代わり、「スラビ」という生焼けの薄ーいホットケーキみたいなお菓子の屋台は沢山出ていて、30円くらいで食べられる。焼きたてホヤホヤはすごーーーく美味しい!これには感動。

 

ソロ郊外の山の上にある2つのヒンズー教寺院(Candi)、Candi Sukuh(スクー)とCandi Ceto(チュト)に行くため、ベチャ→バス→アンコット→オジェックと乗り継ぎ、2時間くらいでスクーに到着。

 手ごろな大きさのピラミッドの周りに面白いポーズの石像が何体もあって、中でも首なし小人みたいなのが自分の男性器を握って立ってる像は、一瞬びっくりするけど日本や中国にもあるような子孫繁栄の象徴なんだろうなってことで、じっくり見させてもらった(笑)

 2か所目のチュトには、今度はドデカイそのものがあったんだけど、印象的だったのはその祀られている前に高校生くらいの現地の男の子たちがずーっと座っていたこと。おかげで写真が撮りにくかったです。

 

2つの寺院の間の山腹には、お茶畑、野菜畑が広がるっている。バイクの後ろに跨って、風を切りながら心安らぐ風景をひらすら目に焼き付ける。時々運転手のお兄さんと喋る。「誕生日はいつ?」「1歳違いだね」「家族は?」「ここはいいところだね」などなど。 

インドネシア語では、自分と相手のことを指す言葉は

Saya(私)-Anda(あなた) 丁寧

Aku(ぼく、わたし)-Kamu(きみ、〇〇ちゃん・〇〇くん) くだけてる

という感じで時と場合、上下関係によって使い分けるんだけど、ジャカルタにいるとついかしこまってSaya-Andaを使いがちだし、MissとかNyonya(奥様、特に外国人の)とか呼びかけられて、内心「ちがうんだけどなー」って思うこともたびたびだから、

こうしてただの1人の旅行者として、見知らぬ土地ですべてをリセットして関係を築く(たとえその場限りの出会いであっても)ってことは、私にとってはとてもとても大切なことなんだなと思った。

 

同年代にはいきなり友達気取りで話したり、おじさんに丁寧に話しかけて優しくしてもらったり。もともと人と人との距離が近くて話し掛けやすい土地だからできるってこともあるけど。 

f:id:tm2013:20140322154916j:plain

(@チュト)

 山を下りて、街中をもう一度歩く。ソロはバティックが有名だから何かお土産を・・・と思うも、あまりこれといった物がない。

 

せっかくの「古都」っていうブランド力がある?のにもったいないな~と思って宿に戻ったら、夜にワヤン・クリッ(ヒンズー神話を題材にした影絵)が催されている劇場があると聞いて、取りあえずモールを偵察に行ってから出かけることに。

 

モールはさすがの賑わいで、ここに住む人皆が集まってきているような活気。外とのギャップが大きく、ちょっと複雑。

 

 その後散歩を兼ねて、劇場というか地元の集会場みたいな所でワヤンを見た。初めてだったから大興奮!夜9時から夜中2時くらいまで上演が続くらしく、演者もお客さんもご飯食べたりタバコ吸ったり居眠りしたりしながら楽しんでいた。

ジャカルタ~ソロの旅

1日目 AM9:00。

ジャカルタの中央駅、Gambir駅から列車(Kereta Api=KA)に乗ろうと思ったら、もうとっくにSolo(Surakarta)行きは出てしまっていた。

 

Pasar Senen駅からなら、12時ごろのエコノミー専用車があると教えてもらい、トランスジャカルタで移動。この駅は、約2年前に初めてジャカルタに来て、初めて街歩きをして、初めてインドネシア人の友達ができた場所だ。来るのもそれ以来。

 

駅前の石畳で水とパンで昼食。食道が痛い。昨晩は奥歯のちょっと奥、今朝は喉の奥だった。少しずつ下に下がってる。風邪かな?呪いかな?ゲホゲホ。水こぼす。

 

時間より15分ほど遅れて列車が到着。リクライニングこそしないが快適な乗り心地。防寒着必携は当然のこととして。それから乗り続けること11時間。途中ジョグジャも通ってSolo Jebres駅へ。

 

タクシーで市街のゲストハウスへ。予約した宿はいくらベルを鳴らしても戸をたたいても電話をしても反応なし。夜中に到着した私がわるーござんした。なのか?

自転車で夜の散歩をしていたおじさんに助けてもらって、別の宿へ。やっぱり同様にダメで、更に次の宿へ。ここはセーフ。

おじさん、この恩は忘れないよ、ありがとう!

 

門の中は時が止まったようなコロニアルの世界。どこぞの大佐かそのマダムにでもなった気分。

f:id:tm2013:20140322205556j:plain