WWつらゆきのつらつらぐさWW

                                       女もすなる、映画日記といふものを、                  つらゆきもしてみむとて、するなり

『アクト・オブ・キリング』-4.12いよいよ日本公開-

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http://www.aok-movie.com/

いよいよ4月12日よりイメージフォーラムにて公開。

 

町山智浩も吠えてたみたいだし

(「町山智浩が激怒!日本マスコミの残念な報道姿勢を語る」

http://miyearnzzlabo.com/archives/18152

話題性十分のインドネシアネタだ~

 

実は、インドネシア国内からのアクセスに限り、

ウェブサイトhttp://theactofkilling.com/

無料ダウンロードできるので、

拙者は昨年9月にお先に観ときました~へへ。

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海外の映画祭で絶賛されて、

日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映されて、

アカデミー賞にもノミネート。

輝かしい評価を得ているけれど、

ここジャカルタでは一般上映の兆しは未だゼロ。

 

在イ邦人向け新聞『じゃかるた新聞』に記事が載ったことはあったくらい。

https://www.jakartashimbun.com/free/detail/13362.html


そもそも、この映画が扱うインドネシア現代史最大の「An Open Secret」である、

1965年の「9.30事件」とは。HPにも説明があるけど、一応↓

48年前の9月30日、大統領親衛隊の隊員がクーデターを起こし、陸軍幹部6人を殺害した。クーデター未遂の責任として共産党に支持されていた建国の父スカルノが失脚、猛烈な反共のスハルトが大統領に就任した。
そして、計画に関与したとしてインドネシア共産党PKI)の党員、そのシンパ、中華系の人が、国軍やプレマンと呼ばれるならず者達、扇動された一般住民により殺害され、その数は政府公式発表で7万人だが外部の推計では50万人とも300万人とも言われている。
国際的には20世紀最大の虐殺事件の1つと見られており、事件直後からスカルノの政策失敗に乗じて政権奪取を図ろうとしたスハルト陰謀説がまことしやかにささやかれていたにも関わらず、スハルト政権はその後1995年の大暴動まで30年間続いた。
また、インドネシアの報道や学校教育では、未だ「共産党による残酷極まりない殺害事件」としてのみ扱われ、何十万人規模の虐殺は無かったこと、あったとしても致し方なかったこととされている。それにより国民は共産党へ同情をするどころか、共産主義は絶対悪というイメージ、もしくは共産党員となれば殲滅される恐怖を植え付けられた。。。


と、いうことで。
それを前提として、45年独立時のスカルノの文言をいじって

スハルトが国民統合のイデオロギーとして標榜し、

今も継続されているインドネシアの国是

(国民が認めた一国の政治の基本的な方針)

「パンチャシラ(サンスクリット語で「5つの徳の実践」)」を見ると

1.唯一神への信仰(⇒無神論は原則に反している)
2.公正にして文化的な人道主義
3.インドネシアの統一
4.協議と代議制による民主主義
5.インドネシア国民に対する社会主義

(一般的に言う社会主義ではなく、国民の利益を第一に考える、という意味)

1項目目からいきなり、共産主義者は排除するぞ!

と言ってるわけですよ。
ちなみにスカルノ在任期はこの項目は5項目目だった。
多様性の中の統一」というインドネシアの素晴らしい

建国理念はどこにいった。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

上で、「報道や学校教育では」と書いたのは、

国民の多くが政権の隠蔽や偽装工作に気づいてはいるから。
でもそれをはっきりさせようとする動きが国内からは見られず、

「An Open Secret」のままなのは、

もし全てが明らかになった場合、

虐殺の被害者と加害者が互いに身近で大杉て

インドネシアの地域社会が大規模に瓦解してしまうから、

また、実際問題として検挙された何万人規模の犯人達を裁いて

もっともな刑に処せるほどの許容量がこの国にはないからです。

そんなことできる国どこ、にもないけど。

で、映画のこと。

主人公は、虐殺に大貢献した「パンチャシラ青年団」という

今も存続する愛国者団体の幹部達。
1000人以上は殺したと自慢げに語るアンワル、

ジョン・ウォーターズの初期映画のディヴァイみたいなヘルマン、

家族サービスを欠かさない初老男性。
みんなインドネシア第三の都市スマトラ島メダンに住み続け、

住民からも地域の議員からも英雄扱い、大物扱いを受けている。

この映画はとても実験的で、

この人物達が当時した行為の詳細を語らせ、

その行為を加害者・被害者になり切って演じさせている。

衣装、音楽、特殊メイク、シチュエーションなどは出演者の希望に沿い、

彼らの大好きな西部劇やミュージカル的な要素や取り入れて、

殺戮の状況を自発的に喜んで再現させるように仕向けている。

ただし編集はもちろん監督らに委ねられており、

そこから浮かび上がるものは・・・?

パンチャシラ青年団は、要は自他ともに認める“プレマン(やくざ者)集団”で、
団員はとりあえず同じ戦闘服着たりキャンプで訓練したりして、

多少の食い扶持とお金をもらえるようになっているけど、
いざ出動って時にはとにかく相手を徹底的に叩きのめし

荒らしまくり奪い尽くす、というのが唯一の使命であって、
インドネシアにはこの手の団体、集団が星の数ほどあって、

それらが権力者や政治家、時には自治体や国の利益や

内部抗争のために暴動を発生させ、
そこにどこにも所属していないゴロツキも加わって収集がつかなくなる、

というのが紛争のパターンで、
ジャカルタの開発をめぐるいざこざでも出てくる奴ら。

昔の日本のやくざと同じようなもの?

でもこの映画を観てて、彼らに仁義なんてものは存在しないように思った。
自分がよけば、人がどうなったって、

一瞬は悲しんで見せたりするもののすぐに開き直りそうだし、
人を殺した過去にしても、この映画の製作を通して

贖罪の念を持ったかのように最後「嘔吐」するアンワル・コンゴではあるが、

なんか1日たったらケロッとしているような感じ。
「被害者の恐怖はこれほどまでだったのか!」と嗚咽する彼に

「あなたは演技だと分かっていても当事者は実際に死んだんだ」

と冷たく返す監督。

絶対的に軽い彼の罪悪感。

うーん。そもそも人の良心なんてものは思い込みであって、

だとすれば良心の呵責なんてものは無意味極まりなく、

結局はその個人なりの快楽さえあればいいっていうのが根本的な行動原理なのかな。
あー、これ「当たり前」な人には当たり前なのかな。

私はなんとなくそんな気もしてきたけど今更その思いを色濃くしたって感じだ。

ものすごくクール&ドライな気分になった。

そして個人の感情云々はどうでもいいけど、

遠い過去だとしても殺人者が裁かれないって、どーゆーこと!?怒
という気持ちにもなった。

グルっとめぐって、社会的な意識も刺激するような映画でした。

日本でも観られるようになって、

もしかしたらインドネシアでも・・・?

というのは甘い考えだと自覚しています。

 

「国民の大半が観たがらない映画、

売れない映画に何の価値があるの?

観たがる人は物好きかよそ者かただの変態。ペッペ!」

 

勢いづいているこの国では

そんな突き放し方が当たり前。

そうやって必要なことまで忘却処分されてしまうことって

沢山あるんじゃないかな。どこの国でも、日本でも。

 

ただ、“外側の人間”が作っているから残せている。

そして、残すことそれ自体に既に価値がある

ということの証明という意味でも、

是非日本にいる人にも観てほしいと思います。