WWつらゆきのつらつらぐさWW

                                       女もすなる、映画日記といふものを、                  つらゆきもしてみむとて、するなり

アルジュナは愛をもとめる-インドネシアンポップ小説ー

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(この表紙、姉のあんずっ子に似てる)

1977年インドネシアで出版されて、

無軌道なジャカルタの金持ち子息の生態をリアルに文章化して話題となった小説。

車乗り回すわ、パーティー三昧だわって、

まるでビバヒル青春白書!

 

とにかく主人公のアルジュナ(イケメンボンボンの男子高生。言い方が古いね!)が

最悪すぎてイライラするんだけど、

やがて来る天罰に期待が高まり過ぎて一気読み。

 

「イモいプレイボーイ」「トラと石の間にできたナメクジ娘」「ローストチキンになったお月さま」「あたしの靴墨」「ほんと、この鼻クソみたい!」

 

美辞麗句も罵詈雑言も、バラエティに富んでいて面白い。勉強になる。

 

非情で馬鹿で単純で脳みそ恋愛のことしかない奴らが、

騒ぎ立てるばっかりの狂想曲。

あっという間にアルジュナは、インスタントな地獄に落ちる。

悪魔のような魅了を放つアルジュナも、しょせん人の子だった。

あわれなアルジュナにもっとひどい仕打ちを!

 

と思ったら今作はアルジュナ3部作の第1部らしく

最後は大団円らしい。

くやしいような、

ちょっとホッとするような。

 

<追記>

でもまてよ。

アルジュナみたいな「最悪」な恋愛観って、当たり前か。

「この人いいな」って思った人に自分的がっかりポイントを見つけてしまって

急速に冷めていくことってよくあることだし、

最初の思いがアルジュナのように強烈(情熱的)であればあるほど、

そして長ければ長いほど、

瞬間的に冷却されてしまい、冷めるどころか氷点下にまで下がりきるわけで。

いつの世も、どこの社会も、どこの文化も

この気持ちの揺れ動きって変わらないのかも。

そんなことを学んだトークインドライブ。

日イ合作『KILLERS キラーズ』ー in インドネシア!-


映画『KILLERS/キラーズ』予告 - YouTube

HP http://www.killers-movie.com/menu.html

 

日本でも絶賛公開中の『キラーズ』、

これはご存じのとおり、日本とインドネシアの合作で、

日本からは『冷たい熱帯魚』(!)の、

インドネシアからは『ザ・レイド』(!!)のプロデューサー陣が寄り集まって

製作され、日活が配給している、という、

バイオレンスアクションファンにとっては待望の作品なのでーす♪

 

監督はモーブラザーズという20代くらいのわっかーい2人組の監督ユニットで、

彼らが出会ったのがオーストラリアの映画学校っていうのが、

インドネシアのお金持ちの子ども達によくあるパターンだな。

 

さて作品の中身の話の前に、インドネシアジャカルタでの上映状況。

インドネシアにはシネマ21というシネコンがあって、

それこそ至る所のモールに入ってるわけです。

ジャカルタないだけで大小60館。

 

そのうちの15館くらいで『キラーズ』は上映しています。

インドネシアの映画上映は、国内映画・国外映画問わず21に集約されており、

その分入れ変わりのスピードも、日本より早い。

あと、このシネコン以外は超絶細々、自主上映みたいな感じででやってるので

21で上映されないと世間に認知されることは殆どない。

 

そう考えると15館って、まあまあな数かな。

ポイントは、在ジャカルタの日本人が住んでるエリア近辺orよく行くモールで

上映をしているとこ。

当たり前なことだけど、

私の家はジャカルタの日本人が住んでるエリアとしては

少し北のはずれにあるんだけど、そこの映画館でも律儀にやっててナイス気配り!

 

約500円で入場。

21はどこもキレイで音響も日本のシネコンとそん色なし。

ただし防音はあんまりよくないかな。

案内のお姉さん方が民族衣装風のユニフォームでいい感じ。

 

土曜の昼の上映で25%埋まってるくらい・・・ここではまだまだですね。

カップルとか高校生っぽい子たちという観客層。

ちょこちょこ小声で話しつつ、基本的に大人しく観てるので

日本の“咳をするのも我慢”みたいな厳しさは無くていいです。

ジュース飲んだりスナック食べたりという楽しみ方はおんなじ。

 

さて映画について。

 

 

<日本パート>

第一印象は「北村一輝、老けたね~」でした。

なんか、シワっぽい。特に口元。

出てきたばかりの時は昔の少女漫画の王子様のライバルみたいで、

ダークでギラギラした美形だったけど、

いまの顔はダークさだけなんじゃ。。。

でも、北村一輝ではないとと思わせる強烈な個性は健在だし、

単純に年季が入って演技がうまくなってる。

キマってるシーンがいっぱいあった!

 

 

インドネシアパート>

バユ役のオカ・アンタラは普通にカッコいい。

中東っぽいルックスで、善と悪の狭間を行き来しつつ苦悩する役にぴったり。

 

その奥さん役はルナ・マヤという女優さん

(美人さんだし、今回知ったけど上手)なんだけれど、

この人は5年くらい前にあるスキャンダルで一瞬干されたんだけど、

こんな役でカムバックを確認。

実はこのスキャンダルには、

ジャカルタのヤクザとインドネシアの宗教がからんでいて・・・という

面白い話を聞いたばかりで、

しかも、この映画もルナ・マヤが痛い目を見た

“ネットで動画を流す”ことがキーになっているので、因果感じるわ~

是非この路線で活躍してほしい!!

 

<日本とインドネシア

全編を通して高梨臨の設定以外に「をいっ」ていうところはなかったのは、

二国の製作に携わった人たちの妥協しなかったからなんじゃないかな。

いや、インドネシアのローカルの人が観たら違うのかな。

ちょっと聞けたら聞いてみる。

 

とにかくあとは褒めまくるしかない!!!!!

 

だってすっごく面白かったんだもん。

バイオレントなシーンも盛り沢山だし、

音楽もノイズっぽくてよかったし。

 

尺は長めだけど、

最後のご対面の場面があったからこそ個性が出たっていうか、

この企画がインドネシアの監督の手によって作品にされた意味なんじゃないかな。

個人的にはあそこがなかったら物足りなく感じたと思う。

 

それは、日本人だけどジャカルタに住んでるからとか、

そういうことも関係しているのかも。

日本で観る人にも、

是非「ジャカルタってこんな感じかー」って興味を持ちながら観て欲しいな。

『Lovely Man』ー父と娘のトランスジャカルター

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2011年のインドネシア映画。アジア各国の映画祭とか、日本では関西クィア映画祭で上映されたらしい。DVDにて鑑賞。

 

2005年に『トランスアメリカ』っていう、

トランスジェンダー性同一性障害)で性転換手術を目前にした主人公(父親)と、

そうとは知らず一緒にアメリカ横断をする青年(息子)の映画があったのだけど、

これはそのジャカルタ版てかんじ。

(今思えばこの頃のミニシアターって、ジム・ジャームッシュ信者が作った

ポール・トーマス・アンダーソン映画の亜種みたいのばっかり公開されてたな)

 

なお、ジャカルタには路面電車的な路線バス、

その名も“トランスジャカルタ”というのがあって、

この写真はその乗り場でのシーン。

 

19歳のチャハヤは4歳の時に家を出て行き仕送りだけしてくれる父サイフルに会うため、電車に乗ってジャカルタに着いた。

そして、夜の橋の上に立ってイプイという名で売春をしている父と再会する。

 

イプイははじめチャハヤを激しく拒否するが、

幼い頃と変わらず父を慕いながら、未婚かつ学生で妊娠して悩んでいる娘を、

父として受け止めようとする。

 

たった一晩だけの父娘の時間。

語り合ったり見つめ合ったりするシーンは少ないけれど、

2人の気持ちが強く結ばれていくのがじんわりと伝わってくる。

 

夜のジャカルタでは、ブラブラと歩く姿を撮るだけで

1本の美しい映画ができる。

という、「映画の魔法」のようなものを見せてくれる映画でした。

(『トランスアメリカ』が大陸横断までしたということに対する皮肉かな)

 

細かく観ていくと、

イプイ役のDonny  Damara(80年代のスター)が素晴らしいとか、

チャハヤ役のRaihaanunが、完全無欠の清純なインドネシア美少女!しかも上手い!

(と思ったら監督Teddy Soeriaatmadjaの奥さんだった。びっきゅり)

 

映像、音楽のクオリティは

インドネシア映画には珍しく(!)他国の映画にひけをとっていない!

ひらたく言えば、ダサくない!(ダサいのは決して悪い事ではないけど)

やればできるんじゃん!!と。

 

あと、ストーリー展開に関する監督の方向付けが明確で、

すごく芯がしっかりとしているから引き込まれるし、

特に売春のシーンと売春仲間の撮り方に変な遠慮も盛り過ぎ感も無くてよかった。

ジャカルタの夜の路上の一部は、結構な性のワンダーランドで、

セクシーなお姉さんも、イプイみたいな人もいっぱいいるんだよね。

 

にしても、

礼拝所でのお祈りと路地裏でのレイプが同時進行、オーバーラップするシーンは、

直球勝負すぎて観ているこっちがハラハラした~

イスラム教団体から公開に対する抗議があったらしいけど、

結局ジャカルタの1館でひっそり上映されたらしい。

監督は、この内容的にインドネシア国内での上映許可は下りないだろうから、

もともと海外で上映することを前提に作っていたらしい。

 

国内で上映される映画の幅、せまっ!

 

とにかく機会があったらぜひ観てください。

DVD持ってます。

 

 

『アルゴ』 ー極私的ソダーバーグ時代の追憶ー

『アルゴ』は去年のアカデミー賞作品賞受賞作。

 

あらすじ

①1979年、イスラム革命で荒れるイラン。過激派がアメリカ大使館を襲撃、大混乱のなか裏口から6人の大使館員が脱出、カナダ大使の家に身を隠す。

②CIAの人質奪還のプロ、トニー・メンデスの名案“ウソの映画を企画し、6人をロケハンに来た撮影スタッフに仕立て上げ、出国させる”は成功するでしょうか?

 

史実をもとにしているうえ、映画作りの映画でもあるので、

その時点すでに楽しいじゃないの。

タイヘンな事件を扱っているんだから楽しいとか言ったら不謹慎か。

謹賀新年!2014!

 

さて監督兼主演はベン・アフレックの馬面。

俳優としては鼻呼吸過ぎるし、なんか常にしらじらしい、

つまり下手なんです。多分。

 

そうしてできた映画。

 

特徴1

まあ、心意気は感じられるベンアフの監督ぶり。

地味だし映画的カタルシスもほどほど。

でも「いいたいことは分かったし、その頑張り(政治的態度も含む)を応援するよ!」

と言いたくなる。

 

特徴2

キャスト渋い。

全体的に仮性インテリ草食男子のむさ苦しさ。

女優陣に漂ういい味の万年脇役感。

正直いなくてもいい。(クレア・デュヴァル最高!)

最後にホロッとさせるノリのいいオヤジ。

 

特徴3

特に映像的実験はない、真っ当な撮り方がかえって新鮮?

 

で、思い出したのは、

何年か前にジョージ・クルーニーが撮った『シリアナ』。

上の特徴すべて満たしており、

よく見たらジョージ・クルーニーがプロデューサーになってるじゃないの。

 

ジョージ・クルーニーといえば

最近はアルフォンソ・キュアロンの『ゼロ・グラヴィティ』とかいう

映像すごいけど内容は飛んでると評判の映画に出ているじゃないか。

共演しているサンドラ・ブロック

ゴツさではハリウッドで右に出るもんはいないけど、

なぜかとびきりキュートであるという稀有な存在として、

ちょっと面白い立ち位置ににいる、

売れている女優の中ではかなり作品の選択肢の幅が広く、

かつ本人もその自由を喜んでいるような様子で、イケイケゴーゴゴーですね。

 

って、なんの話かわかんなくなっちゃったけど、

とにかくこの『アルゴ』には

本気モードのジョージ・クルーニーがかんでいるわけで、

そこにはソダーバーグ組の威信みたいなものが蜃気楼のように見えるわけです。

 

 懐かしのソダーバーグ組

スティーブン・ソダーバーグ26歳が

セックスと嘘とビデオテープ』でカンヌに颯爽と現れ、たものの、

しばらくは一般世論的に鳴かず飛ばずになったものの、

『KAFKA/迷宮の悪夢』『スキゾポリス』なんて小難しい映画を撮りつつ

アウト・オブ・サイト』で当代きってののセックスシンボルを

じわじわと作りあげていったのはもう15年くらい前。

 

その後『トラフィック』『エリン・ブロコヴィチ』で

絶対的なポジションを確立したわけです。

当時、塾に行くふりをしてソダーバーグ特集に足しげく通ったものでした。

 

何にひかれたかというと

ソダーバーグを勝利させないことの
思いがけない難しさについて

――現代アメリカ映画のポストモダンシニシズム

http://www16.ocn.ne.jp/~oblique/texts/JinshiFUJII/ocean.htm

 

という文章で徹底的にこき下ろされている、

まさにその部分に魅力を感じたわけです。

 

つまり、ソダーバーグはこの自身の下手糞さを、それこそが映画の現代性だ、それこそがハリウッド・メジャーに抵抗する自らの作家性だ、といいくるめるレトリックを発見してしまったのです

 

(以下の話は上のコラムが面白かったから書いたようなもの)

その発見を自らの発明のように我がもの顔で駆使する狡猾なソダーバーグは、

当時なんともいえない特異さを放っていたのです。

また、大作も小作も平均的に、悪く言えば均質的にやりこなすソダーバーグに、

スマートさを感じていたところもあります。

 

同じようにとは言わないけれど、

そんな魅力的ともいえない魅力にひきつけられた大物たちが

続々とソダーバーグ周りに集まり、

作品のみならず、プロダクションまで一緒に作ったりしたわけです。

 

それが、ジョージ・クルー二―を筆頭に、

ブラピ、マット・デイモンジュリア・ロバーツ、キャサゼタ、デルトロ、

フランス人もちらほら

 

まだまだいっぱい

 

あと女優はとびきり売れっ子で分かりやすいセクシー系。

あと全員共通してるのは、熱心な民主党て支持者ってとこ?(笑)

 

これに関しては、冗談ではなく政治思想的に同調したって面は

かなりあるんじゃないか。

上記の『トラフィック』『エリン・ブロコビッチ』で

2000年に名を挙げて、

2001年にオーシャンズ11が世に出たわけで、

 

2001年に何があったかといえば

9.11が起きて、アメリカの正義が大きく揺さぶられたわけで、

 

そこで監督として大スター軍団をまとめる力もありながら、 

やけにクールで芸術家肌でわが道を行く人物が磁場になったというのも

わからなくもないなと。

 

9.11後、 

愛国心の昂揚=戦争へと突き進むことに、

真っ向からノーということできなくても、

 『オーシャンズ12』で再結集したり、

映画作りにのめりこんだりすることで、

平静さをもって距離を置くということができたんじゃないかな。

こちらもジョージ・クルーニー監督作『グッドナイト・アンド・グッドラック』も

そうだったんじゃないかな。

 

というのは2000年代頭のことで、

それからソダーバーグ組がどうなっていったかというと、

 

そもそもソダーバーグはかなりSF志向が強いので、

SFものとザ・インディペンデントものを作っていくうちに、

徐々に“仲間意識”みたいなものがゆるくなり、

お互いになにかしらかんでいたりするけど、

まあ昔のような徒党を組む感じはなくなっていった、ように思う。

私も(笑)。

 

で、2013年の『アルゴ』。

ある意味、ベンアフはおそらく親友マット・デイモンを通して

ソダーバーグの陶窯を受けた甥弟子くらいの感じで、

(さらに言えばこの人達はケヴィン・スミスという米オタク界の

良心とも、兄弟みたいな関係。

だからアルゴはちょっとしみったれてる。いい意味でも。)

inspired by ソダーバーグの現時点での到達点がこの映画だったのかな。

と思うのです。

 

でも、ベンアフにとってのアルゴも、またソダーバーグ組の面々にとっても、

出来上がった作品群は決して到達点ではない。

のちのちのための通過点、

場合によっては踏絵みたいなもんだったんじゃないかな。

 

なので、上のコラムで書いてあったことも意味はすごーくよく分かるんだけど、

後々の評価を受けたり、決定版と謳われるようになる意志ははなからなく、

ただためし試し作ってみて、その時の観客に受けて、

でも「やっぱちがうな」と思ったら後腐れなく50歳で映画界を去り、

新しい表現の場を探しにゆく。

(テレビ業界に行くらしい)

そんなカッコよさは、

若くてエネルギーがあって少なくともほかの候補者より賢い大統領のいる国に

ぴったりかと思うのです。

たとえ今なんとなくうまくいっていないとしても。

 

ところで

ソダーバーグの作品は、

そもそも情緒なんてものが希薄で、

映画にあるまじき「能率」や「合理性」が際立っていて、

とにかくドライ。

引退作『サイド・エフェクト』は未見です。

そしてどれが一番好きだったかと問われると・・・

トラフィック』メキシコパートと『ソラリス』かな。。。

かぐや姫の物語

どこみても賞賛の嵐。

 

いささか耳障りでげに薄気味悪うありけり。

こんな皮肉っぽいつらゆきにありけり。

 

という上の文章は読まなくっていいです。

以下いいところ。ほんとだよ!

 

水彩なのにビビッドな色彩。特にかぐや姫のピンクの羽織がひらひら舞うたびドキドキするような美しさ!

コンマ数秒単位で大きく、女性的になるかぐや姫の身体の線の躍動は、子どもが育つことの奇跡的な喜び、少女が成熟した女性になるエロティックさ、早く成長してしまう事(老化とも言う)の悲しさまでも表現していて、本当に感動的でした。

(捨丸兄ちゃんと密着して急に大きくなるのは『らんま1/2』とか『月の子』(!)みたいだったけど)

 

さすがっ!パチパチパチ

 

そしてやっぱり本題、気になったこと。

 

いくら現代風にアレンジしてるからって

「来月の15日に月に帰らなくちゃいけないの!」って。

なんか別の言い方なかったもんか。と、同行者と。

借金の返済期限かい!

 

あと帝が後ろから覆いかぶさって

「これをして喜ばなかった女はいないぞ」みたいなとこ。

どの面下げて・・・て単に個人的にカチーンときただけかも。七之助好きだけどね。

 

かぐや姫もさ「ガーン川◦△◦川」じゃなくて、

罵詈雑言吐いていいと思うよ!いやなんだし。

 

喋ってはいるけど、総じて、ボキャ貧なかぐや姫

慰めや謝罪、代弁という名の封じ込めを行うじじばば。

もちろん映像で心情を語っているんだよ。

 

突然荒れ野に駆け出したり、好きな人と現実を忘れて空飛んだり。

でも、それって妄想でしょ。

妄想だけでいいの?

 

なんか、

「若い女の人にもあるとかいう生きる辛さといふものを描いてみんとす」

みたいなことを会議室で話し合った姿が想像つく。

 

その執念で作画50万枚。あ、それだけじゃないか。

アニメーションとして十分挑戦している。

全部ひっくるめて、すごく胸を打たれて、

ラストは込み上げてくるものがありました。

 

一方で、かわいそうなかぐや姫はやっぱりいってしまうんだよね。

天真爛漫で躁鬱気味ないい子のまま。

今の社会が見て、満足度の高い女性像ってこんな?

それってどうなの。もっとちがう姿があるでしょうが!

といってもすぐにはでてこないけど。

最近忘れっぽくて。

 

 でもこの映画は実態と結構一致しているのかも。

客観的に見た自分像と。

暗い気分になるわ。 

 

ちょっと偏り過ぎだし上から目線でえらそうですか。そうすか。

 

取りあえず洗濯機の調子が悪く、

延々とすすぎが続いていて、これはどうしてくれよう。